彼が、昼休みに長門さんを迎えに来るようになったのは、いつぐらいからだったかしら?ちょっと忘れちゃったけど、もう毎日だから迎えに来るのが当たり前みたいになってるし。
彼は教室のドアを開けても、教室の中には入らないで、毎回わたしに長門さんを呼びださせる。もうこのクラスでは、すっかりおなじみの顔になってるんだからそのまま入ってくればいいのに。
でもそう、自分のクラスじゃない他の教室に入るのってちょっと躊躇しちゃうんだよね。
涼宮さんは平気みたいだけど。涼宮さんが長門さんに用があるときは、いつも挨拶もなしにズンズン入ってきてるし。
そうそう彼、あの涼宮さんと付き合ってるってウワサになっているけど、あたしは違うと思うな。涼宮さんと付き合ってるんだったら、毎日長門さんとお昼食べたりはしないんじゃない?
それに涼宮さんなら、どちらかというと9組の古泉くんのほうがお似合いな気もする。でも古泉くんは2年の朝比奈さんと付き合ってるんだっけ?
まあ、呼び出しを取り次いであげてるのは彼だけじゃないけどね。
あたしの場合、席が一番ドアに近いから、誰かを呼び出すときは割りと声をかけられる。
さすがに席を立っている時は、呼び出しを頼まれることもないんだけど、彼の場合、昼休みになるとすぐうちのクラスに来るから席を立つ暇がない。だから毎回取り次いでるってわけ。
あたしゃこのクラスの受付嬢じゃないんだけどな。って愚痴ったら、みんなに受付嬢になるための素養と容姿、主に美貌についてのレクチャーを小一時間された挙句、「精進するように」だって。だから好きで受付嬢してるわけじゃないんだってば。
さて、もうそろそろ、この退屈な英文法の終了までカウントダウンがはじまる時間だわ。今日も彼は来るのかしら。毎日ご苦労なことで。やっぱり彼氏に必要なのはまめさよね。
そんなことを考えていると、目が自然と長門さんの方を向いてしまう。
長門さんの席は、一番窓際で前から3番目。
いつものようにじっと黒板の方を向いて、ちょこんと自分の席に座っている。手を机の上に置いて、両方グーにしているのが、なんともかわいらしい。
そう、長門さんは、なんだか最近かわいくなったような気がする。
もともと彼女にはお人形さんのようなかわいらしさはあったんだけど、でも少なからず冷たい印象みたいなものも受けていた。ちょっと近寄りがたいようなカンジ。
それが最近はない。
そうねぇ、例えるなら、市松人形がティディベアになったような?あまり感情を表に出さないってとこは、変わっていないんだけど。
でもそれはあたしにしか分からないみたい。
クラスの他の子には
「そう?別に同じじゃない」
なんていわれてしまった。
あたしに長門さんがそう見えるのは、彼の取次ぎで、毎日長門さんを見ているからかしら?だとしたら受付嬢の面目躍如なんだけど。
それとも、あのかわいらしい雰囲気は彼の前限定なのかしら。ううん。そんなことないわよね。だってほら。今見ててももあんなにかわいいもの。うーん、ぎゅーっとしたくなるわ。
やっぱり、彼は長門さんと付き合ってるんじゃないかな。恋をすると女の子は雰囲気変わるものよん。
あーあ、あたしも彼氏欲しいなぁ。
長門さんを眺めながらそんなことを考えていると、授業の終わり、つまり昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り始め、そして鳴り終わるとすぐに、彼が顔を出した。
「よう。長門いるか。」
それがいつもの挨拶。
もちろんいるに決まってるし、彼もそれはわかってる。語尾がクエスチョンマークじゃないのがその証拠だ。
最近は、
「じゃ、長門を呼んでくれ」
は省略されてる。
たまには
「いるけど、どうしたの?」
なんて意地悪な軽口を交わす位には、このやり取りにも慣れてきた。
でも、その日はちょっと違ってて、いつもの挨拶は半分しか聞けなかった。
「よう。長門・・・。」
そこまで口に出したところで、彼は動きを止めた。
どうしたのかと思って、固まっている彼の視線を辿ると、窓際の席に座っている長門さんをしっかりロックオンしている。
授業中とほとんど同じ姿勢の長門さんはやっぱりかわいかった。
かわいい彼女に見とれてるの?と彼をからかおうと口を開いたら。
「長門!!!」
彼が突然大きな声を出した。
びっくりしたクラス中の視線を全部受け止めながら、行く手を阻む邪魔な机を蹴散らすかのように、長門さんの席に突進して行った。
あたしもあわてて後をついて行く。
「どうした!長門!大丈夫か!?」
彼は長門さんの細い肩に、両手をかけてそう尋ねた。彼の顔には、こっちまで慌てちゃうくらいのすごいあせりの表情が浮かんでいた。若干血の気も引いてるみたい。
「大丈夫。問題ない。」
「いや、そんな・・・、そんな顔色してて大丈夫な訳ないだろ!」
いやいや、顔色変わってませんが。むしろあなたの顔色のほうが青白いですが。
「冬休みの時のヤツか?無理すんな。また倒れちまうぞ。」
長門さん、冬休みに倒れるような、なにかがあったのかしら?貧血とか?
「違う。今わたしは誰の影響も受けていない。むしろ正常。」
「だからとてもそうは、見えないって言ってるだろ!」
う~ん。あたしには変わらないように見えるんだけど、彼には長門さんの体調がすこぶる悪く見えてるみたい。凄腕の受付嬢でも、やっぱり彼氏にはかなわないわよね。
長門さんは心配掛けまいとしてるんだろうけど、彼の言うように無理してもしょうがないし。
「ねぇ、長門さん。具合悪いんなら保健室で休んでたらどう?」
「そうだ。長門、保健室行こう。」
「いい。ここにいる。」
「ここにいるって、昼飯はどうすんだよ。」
「今日は一人で食べて。わたしはここにいる。」
「食欲ないのか?やっぱり体調わるいんじゃないか?」
「違う。動きたくないだけ。」
しばらくそんな押し問答が続いたけど、彼が我慢できなくなったのか
「あ~、もういいから!保健室行くぞ!いいか!暴れるなよ!」
そう言ってしゃがみこむと、座っている長門さんの足元に手を差し入れ、もう片方の手を脇から背中に回して持ち上げた。いわゆる『お姫様抱っこ』というヤツだ。
彼が教室に飛び込んできてからの、一連のこのやり取りを周りで見つめてて、好奇心ではち切れそうになっていたクラス中の女子からは、甲高い黄色い悲鳴が。そして男子からは、野太い感嘆の声が上がった。
もちろんあたしだって心の中では、最大音量でキャーキャーわめいていた。
だって、『お姫様抱っこ』よ!!し・か・も!自分の体調を気遣った彼氏が、保健室まで運んでくれる、なんて年齢別女の子があこがれる『お姫様抱っこ』のシチュエーションベスト5に常にランクインする常連さんよ!
「あ・・・、ダメ。」
クラス中に沸き起こった歓声にかき消されて、おそらくあたしと彼くらいにしか聞こえなかっただろう微かな長門さんの拒否の声を、彼はわざと気付かない振りをしていたようだ。
でも、あたしは気づいてしまった。
長門さんが、どうしてそんなにも頑なに保健室に行くのを嫌がっていたのか。どうしてここを動きたくなかったのか。
それに気づいちゃったのはあたしが女の子だから。そう、長門さんだって女の子だもんね。
だから長門さんの気持ちがわかる。いくら彼氏でも、ううん彼氏だからこそ気づかれたくないことってあるよね。
あたしはポケットからハンカチを取り出して、なるべく素早く、そしてなるべく自然に見えるように椅子の汚れを拭うと、彼に言った。
「早く保健室に行きましょう。あたしも付き合うから。」
さすがに彼も、椅子の汚れとあたしの動きを見て、それに気付いたみたい。足を抱えているほうの腕の位置を変えて、腰を抱え込んで隠すように抱きなおした。
普段だったら、そんな抱き方してたら手の甲をピシャリと叩いてたところだけど、今回は許すわ。
一階の保健室にいくまでの間、長門さんは、おとなしく抱っこされていた。額を彼の肩口にぎゅっと押し付けて、胸元のYシャツをしっかりと握っていた。顔だけ見ると相変わらずの無表情なんだけど、Yシャツを握ってる細い指がふるふると震えていた。かなりの力で握っているのが、Yシャツのシワで分かる。
長門さんは、顔より手のほうが表情豊かね。
大股で急ぎ足の彼について行くために、ちょっと小走りになる。
やっぱり廊下でも注目を浴びているけど、こればっかりはしょうがないわね。
彼は慎重に、だけど最大限急いで階段を下りると、すぐ脇にある保健室のドアの前で立ち止まった。
「頼む。」
あたしは長門さんを抱きかかえたままの彼の前に回りこんで、ノックをする。
「失礼します。先生いますか?」
長門さんは、しばらく保健室で休んでいたのだけれど、結局午後の授業ははお休みにして早退することになったみたい。
彼が長門さんの家まで送ることになったので、お昼休みが終わる前に、長門さんの鞄を保健室まで届けてあげた。
初めて知ったけど、長門さんは一人暮らしなんだって。それだから彼も余計に心配みたい。
玄関に向かう彼と長門さんに手を振って見送りしたてら、下駄箱のところで長門さんがこっちを振り向いて、ちょっとぎこちなく、ぺこりとお辞儀をしてから帰っていった。
頭の下げ方が江戸時代のからくり人形みたいで、わたしは思わず吹きだしそうになっちゃった。
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・・・俺は、坂道をゆっくり下りながら、ひとつだけ気になっていたことを、長門に尋ねようかどうか迷っていた。
いくら相手が長門とはいえ、こんなことを聞いては、デリカシーがないといわれてもしょうがないのかもしれないが、しかし・・・。
知識としては、俺だって知らないわけではない。あのころ小学生だった俺が、男子だけがサッカーやってる時間に女子が何を聞いていたのか、なんてことはさすがにこのトシになれば分かってる。
おふくろと妹とミヨキチが、俺がそばにいるのにもかまわず無神経な会話をしていることもあった。いや、無神経だったのはおふくろと妹でミヨキチは真っ赤になっていたっけ。
一瞬、この件についてハルヒに相談しようかとも思ったが、教室での長門の態度を見ると、もしかしたら長門にも恥ずかしいって感情が芽生えてきてるのかもしれない。だとするとハルヒなんかに相談して騒ぎを大きくしてもかわいそうかもしれないし。
もしかしたら、そんな質問するなんてと罵られるかもしれないが、そんなふうに長門に罵られるなんてレアな経験をしてみるのも悪くない、などと言ったら趣味が悪いだろうか。
俺は、覚悟を決めて疑問をそっと投げかけた。
「長門。お前、その・・・初めて・・・だったのか?」
「そう。」
コクン。と小さくうなずく。
「4年間、このような事態が発生することはなかった。」
「わたしには有機生命体に備わっている有性生殖機能がないと認識していた。」
「外見的に雌性生殖器が存在することは分かっていたが、生殖細胞を形成する機能の有無については認識していなかった。」
「情報操作を行えば、出血は止める事ができたが、有機生命体として正常に活動している状態に変更を加えることは、この肉体の成長に悪影響を及ぼす可能性があった。」
「だから出血を放置していた。」
「貧血状態になったのは私のミス。」
「食事と休養で回復する。問題ない。」
まるで工場の機械の状態を説明するかのように、淡々とした口調で長門は語っていた。
「どうすればいいかは、分かってるか?」
「今は理解している。保健教諭にレクチャーを受けた。」
そう話す長門の口調と表情には、ほんのわずかだが、『戸惑い』と『恐れ』が潜んでいた。以前の俺だったら気付かないだろう微妙な感情だ
しかし、俺は気付いてしまった。気付いてしまった以上、そのままにはできないよな。
それに長門がこれからあの殺風景な部屋にひとりで帰るのかと思うと、俺はもうどうにも我慢できず、とんでもない提案をしてしまった。
「長門、今日は、うちに来ないか?」
長門は歩くのをやめて、俺の目を見つめている。長門のその目が数ミリいつもより見開かれている。それは『驚き』だな。まあ、そりゃ驚くよな。
「俺には何もできないかもしれんが、うちのおふくろなら、一応、娘を持つ母親なわけだし、何かの役に立つかもしれん。」
「一人暮らしの女の子が困ってるって言ったら、絶対に悪いようにはしないから。」
「うちのおふくろの料理、結構うまいんだ。長門の口にも合うと思う。」
「なんなら泊まって行ってもいい、部屋は余ってるんだ。」
「妹もきっと喜ぶと思うぞ。冬合宿以来だしな。」
自分でも、俺、何言ってんだと思いながらも、長門がうちに来るべき理由を挙げるのを止めらなかった。
俺は、今日はどうしても長門を一人で放っておく気にはなれなかったんだ。
長々としゃべった俺の台詞と同じぐらいの長さの沈黙ののち、短く長門は答えた。
「わかった。お邪魔させてもらう。」
おふくろに電話して、今日の夕飯は赤飯を炊いておいてもらおう。
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